Yuimas

周囲と和合しつつも「わたし」を忘れないためのアイテムをつくっています(準備中)。

つくっている人が語る、つくることについて

「好きなこと」はわかるようでわかりにくい

最近よく聞くようになったのが「好きなことをしよう」。

でも私はずっと、「好きなこと」がわかるようでわからなかったんです。

「これかな?」と思ってやってみても、なんか違うような……。
楽しい瞬間もあるのだけれど、なんだか満たされないような……。

そして、「好きなことをしよう」系の本によく書いてあるのが
「好きなことがわからない人は、子ども時代に好きだったことを思い出してみよう」

これもまた意外と難しいですよね。
なぜかというと、子ども時代は親の影響が大きいから。

私が子どもの頃は「いい学校に行って、いい会社に入る、(女性なら特に)いい人と結婚する」が一つの”幸せの型”でした。

私の母もそれを信じ込んでおり、いわゆる教育ママ(というか虐待に近いレベル)で。

与えられた遊び(というよりは仕事の感覚)道具といえば、パズルとかドリルとか迷路ブックとか、知育系のものばかりでした。

だから、「子ども時代に好きだったこと、と言われても、わからないんだよなあ、ほとんどパズルしかやってないし」と思っていました。

それでも。
何年もかけて幾度も子ども時代を辿っているうちに、「そういえば……何かをつくることは好きだったかもしれない」とうすぼんやり浮かび上がってきました。

「好きだった」というよりは、「よく覚えている」に近いのですが。

旅行先の焼き物屋さんで、白い貯金箱に絵つけをしたこと。
頭の中で「ここはこんな色にして」と構想があったのに、塗っているうちに絵の具が垂れて混じりまくって、泥みたいな仕上がりになったのがすごく悔しかったこと。


デパートのおもちゃ売り場で夏休みに開催される「クラフトワーク」みたいな体験型のイベント、あれがとても楽しみだったこと。

たしか2000円?とかで10枚くらいのつづりのチケットに交換するのですが、あっという間に消費してしまって物足りなくて。
でも、つくったものを持って帰れるのが嬉しかった。

子どもの頃にデパートのおもちゃ売り場でつくった砂絵。いまだに青と緑が好きなので、「趣味って変わらんのだな……」とちょっと愕然としております。


そういえば夏休みの宿題も、工作系のものは全く苦にならなかったです。

家庭科の調理実習は面倒くさいのに、ミシンを使う系のことは楽しいとか。
高校生になると自己流で服を作り始めてもいました。

けれど、その程度の「好き」レベルで、ものづくりを仕事にするなんて現実的に考えられませんでした。

芸術家という仕事は、あってないようなものだった

私の身近な例をとっても、美術科の高校に進学した子は、絶望的に絵が上手かったです。
彼女の作品はかならず入賞して、いろんなところに展示されるのですが、「上手な中学生の作品なかに1人プロのものが混じっている」という感じでした。

「私が一生かけて練習しても、中学生時点の彼女に到達できない」と思い知ったのをよく覚えています。

また、声楽で藝大に行った先輩も、全国大会出場レベルの合唱部の公演で「上手い高校生のなかに1人プロが混じっている」状態でした。
もう、信じがたいほどにダントツなのです。

そういう「誰もが認めざるを得ないほどの才能」の人が美大や音大に行くものでした。
それでもなお芸術の世界って難しいもので、芽が出るかはわからないわけです。

だとしたら、まあ、私なぞが芸術方面に進めるわけがなく。

ものづくりは趣味でやるもの、と割り切っていました。
ひとにプレゼントするのさえも「手作りだと捨てづらいだろうから差し上げていいものか悩む」みたいな。

しかし時は流れ……
インターネット、ネットショップが当たり前になり、minnneやCreemaといったハンドメイド特化型のサービスも出てきて、ものを作って売ることは「特別な人」以外も、できるようになってきました。

「そうはいうても、仕事として成り立つのはごくわずか、やっぱり特別な人よね、少なくとも美大出てるとか、それに準ずるレベルの人だよね。
仕事にならないんだったら、1つや2つくらい、売れても、なあ。
まあやっぱり趣味でいいか」
と、やる前から諦めていました。

自分のための服や小物を作って、それなりに満足していました。

つづき>>>なぜ売るのかー「つくってもいい理由」が欲しかった - Yuimas

 

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