Yuimas

周囲と和合しつつも「わたし」を忘れないためのアイテムをつくっています(準備中)。

なぜ売るのかー「つくってもいい理由」が欲しかった

「つくってもいい理由」が欲しかった

インターネットのおかげで、ものを作って売ることは「特別な人」以外も、できるようになってきたものの。

なかなか「売る」までの勇気がでず、自分のための服や小物を作って、それなりに満足していました。

けれど、忙しかったりで何もつくれない日々が続くと
「うあーーーー! なんかつくりたい!」となる自分がいることに気づきました。

「毎日ちまちまでいいから、つくってもいい理由が欲しいんだよな」と。

「ん? つくってもいい理由? ってなによ?」と自分でハッとなりました。

私にとっては、勉強(仕事)関係以外のことはすべて「遊び」、つまりは「(母の機嫌を損ねないために)してはいけないこと」だったので、

「なにかをつくること=遊んでいる=勉強(仕事)をさぼっている」
という認識になっていたようなのです。

だから、好きな美術館や博物館に行っても、目の前の世界に没入できず、背中がうすら寒いというか……。

「いいのかなー、わたし、のんきにこんなことしていて。
こんな時間あったらもっと仕事に役立つことやったほうがいいんじゃないかな」と。

なんとなく悪いことをしているような気にすらなる(※全然悪くない)。

せっかくお金払って観に行っているのに、もったいないですよね。

副業だとしたら……「つくっていい」と思えるのでは?

この「つくってはいけない感」とうまく付き合っていくにはどうしたらいいのか。

多少でも利益が出るのであれば、それは仕事の一種ではあるので、「遊び」でなくなるのでは?
利益的に仕事とまで呼べなくても「副業」くらいは言ってもいいのでは?

副業なら別に、時間の許す範囲でいくらでもやっていいよね?
美術館だって博物館だって、ある意味勉強のためなのだから、別に行ってもいいよね?

そのように考えるようになり、「趣味でいいや」から「売ってみようかな」に変化していきました。

一つも売れなかったらどうしよう笑

前記事に続けて、「売る理由」を綴りましたが……
これだけ書き連ねておいて全く売れなかったら、と考えてみるとおそろしいような気もします。
売れないだけならまだしも、売る準備の時点で飽きる可能性すらある(私はわりとそういう傾向のある人間)。

まあそれはそれで、いいか。

「1000個作ったけど一つも売れなかった」ということもそれはそれで興味をひくコンテンツのような気もするし(コスパは激悪だが)。

売れるまで無限に作り続けてもいいし。
途中でやっぱり違ったとやめてもいいし。
(ぼちぼち老眼が始まりそうでこわい)

これまでを振り返ってきて、「つくること」は(途中でやめたりしながらも)続けてきたので、長期戦でゆるく構えていこうかなと思います。

 

いとあみぼーや です

余計な力が入りそうになったら、いとあみぼーやを思い出そう。